Characters
††:未発表曲・レア曲集
†††:ベストアルバム
††††:ライブアルバム
†††††:その他のアルバム
地を這うようなヘヴィネスと重苦しく陰鬱な世界観を表現し、グランジムーブメントの勃発やその後のヘヴィロックに多大なる影響を与えたAlice In Chains(アリス・イン・チェインズ)。バンドは1987年の初めにシアトルで結成されることになるが、その始まりはAlice N' Chains(Alice In Chainsとは別物)というグラムロックのプロジェクトで活動していたシアトル出身のヴォーカリスト、レイン・ステイリーがギタリストのジェリー・カントレルと1986年の12月にあるパーティーで知り合ったことであった。 かつてファンク・バンドで活動していたこともあるジェリーはこれをきっかけにDiamond Lieという彼のバンドの新しいメンバー集めに努めることになる。まず彼と一緒にGypsy Roseというバンドに加入していたベースのマイク・スターが合流。それに続いてレインが1985年に知り合ったドラムのショーン・キニーの加入を提案、その求めに応じたショーンがバンドに加わることとなった。ちなみにショーンは当時マイク・スターの妹と交際していたそうだ。レインはこのDiamond Lieのリハーサルなどに参加しながら、自身のプロジェクトでの活動を進めていたが、1987年初めにDiamond Lieに正式に加入することを決め、ここにバンドのラインナップが完成する。彼らは金銭的な余裕がなかったためにリハーサル・スタジオでセキュリティの仕事をしながら寝泊りをするようになり、それが終わってからリハーサルを行う日々を送りながら曲を書いていった。バンドはMothra、Fuck、Alice N' Chainz(前述のレインのプロジェクトとは別物)と名前を変え、最終的にAlice In Chainsに落ち着くことになる。このAlice In Chainsという名前はもともとレインの友人がスピードメタルバンドを結成したときに候補として挙げていたもので、それが採用されなかったために使ったということだ。
1987年のシアトルはGreen RiverやSoundgardenを中心にすでに独自のミュージックシーンが形成されていた。しかし、結成当時の彼らはそれらのバンドとはかなり異なり、グラム色の強いポップなメタルといういかにも80年代的なサウンドを核としていた。この頃に書いた曲は彼ら自身「まるでHanoi RocksやDavid Bowieのカバーのようだ。」と語っている。 そして、同郷のSoundgardenや(Pearl Jamの母体となった)Mother Love Boneなどがメジャー・レーベルとのレコード契約を取り、にわかにシアトルシーンが注目されてきた中で、1988年末には彼らにもデモテープを作る機会が回ってくることになる。 そのときに書いた一連の曲の中の"I Can't Remember"や"Love, Hate, Love"(ともにアルバム"Facelift"に収録)などがきっかけとなり、粘つくようなヘヴィネスと美しいメロディが絡み合う彼ら独特のサウンドが生み出されていくこととなった。また、彼らのハーモニーの特徴である4度で重ねるというスタイルを確立したのもこの頃であった。 そして1989年の初めにはMother Love Boneのライブのオープニング・アクトを務め、それを見に来ていたニック・ターゾによってメジャー・レーベルとの契約に導かれていくこととなった。
多数のレコード会社の争奪戦の末、米Columbiaと契約を結んだAlice In ChainsはJane's Addictionなどを手がけたデイヴ・ジャーデンをプロデューサーに迎えて地元シアトルのLondon Bridge Studiosで1stアルバムのレコーディングに取りかかった。88年末から89年にかけて書いた曲を中心にレコーディングは進められ、1990年6月に1stアルバムの発表に先駆けてこの3曲入りのEPを15000枚限定で先行発売することとなる。
先に発表したデビューEP"We Die Young"は枚数限定であったこともあり、それほど話題になることはなかった。そしてその2ヶ月後に1stフルレンスアルバムである本作をリリース。アルバムにはEPに収録されていた"We Die Young"と"It Ain't Like That"も含まれている。ちなみにジャケットのデザインはもともと4人の顔を合成したものになる予定だったが、(見た目がよくなかったせいか)マイク・スターの顔を2つ重ね合わせるという案に落ち着いたようだ。
妖しくも美しいメロディと粘つくようなヘヴィネスを持ち味とするAlice In Chainsの1stアルバム。かつてはLAメタルのようなポップなサウンドであった彼らがこの新しい方向性を見出すきっかけとなった"I Can't Remember"や"Love, Hate, Love"なども収録されている。
アルバムは#3〜#7や#10に見られるような重々しさを前面に押し出した曲と、#9 , #11, #12のようなファンクの色合いを持ったハードロックを中心に構成されている。#8はこの両方の要素が組み合わされた曲と言えるだろう。このアルバムではまだオーソドックスなメタルからの影響も強く見られ、グランジと呼ばれたサウンドというよりはヘヴィネスを重視したオルタナティブ・メタルと表現するほうが適切と言えるだろう。たとえば#3のサビの前で聴けるギターフレーズはストレートなHR/HMの要素が感じられるものである。
彼ら独特の個性もこの段階ではまだ発展途上のもので、"Dirt"以降に見られるような呪縛的なダークネスもそれほど生まれてはおらず、メロディラインもまだ美しいと言えるほどのものは少ない。またメロディそのものがゆったりと進行していくことに加え、ダークネスを強調するためにデモテープよりテンポを落としていることなどから、曲によってはダラダラと流れているように感じられる面もないとは言えない。また、詞の世界観もまだ異世界を連想させる要素は少なく、現実的な空気感を持ったものが多くなっている。ちなみに#12はヘロインのオーヴァードースによって他界したMother Love Boneのフロントマンであるアンドリュー・ウッドに捧げられた曲で、Alice In ChainsらしいヘヴィネスにMother Love Boneの要素を取り込んだファンク色の強いサウンドに仕上がっている。
さて、"Dirt"以降のアルバムと比較するとどうしてもこのような評価にならざるを得ない部分もあるのだが、本作だけに目を向ければ面白い要素もいくつか見つけることができる。ヘヴィネスを強調した曲で見られる、遠く暗い海の果てから聴こえてくるかのようなヴォーカルはなかなか魅力的である。しかるに、本作の魅力は比較的上手くまとめられた#9, #11などのハードロック色の強い曲よりも#3〜#7などの発展途上ながらもヘヴィネスを強調した曲にこそ見出すことができると言えよう。特に#6の力強さはなかなか印象的だ。また#1は90年代型のヘヴィメタルの先駆けとも言える曲であり、ダークでエッジの効いたヘヴィなギターサウンドが特徴的だ。#2はヘヴィネスとうねりが心地よいこのアルバムで最も印象的な曲だと言える。そして他界したジェリーの母に捧げられた#8は本作中で最も美しいメロディラインを持った曲だ。これは3rdフルレンスである"Alice In Chains"に収録されている"Shame In You"などと聴き比べてみるのも面白いかもしれない。
彼らのこの新しいヘヴィネスを提示したサウンドはシングル"Man In The Box"のヒットによってシアトルからの最初の一撃となった。さらにSoundgardenらと共にMetallicaなどに影響を与え90年代以降のサウンドを作るきっかけともなったアルバムでもある。
バンドは1990年9月にロサンゼルスでのメタル・コンヴェンション"Foundations Forum"へ参加、同年12月にはシアトルのムーア・シアターでのライヴを行う(このときの映像は後に"Live Facelift"として発表)。また、シアトルを舞台にしたキャメロン・クロウの映画「シングルズ」(1992年公開)への参加を招待され、そのサウンドトラックのためのデモテープの制作にも取りかかった。その中から"Would?"が採用されることが決まり、ほかにも次作"Dirt"に収録される曲や、本作に収録されるアコースティックな曲なども生まれることとなった。また翌年1月にはAmerican Music Awardsのフェイヴァリット・ヘヴィ・メタル・アーティストにノミネートされる(受賞はせず)。さらに"We Die Young"がメタル・チャートのTOP5に入るなどの活躍を見せるが、"Facelift"はリリース後半年で約40000枚のセールスにとどまり、その滑り出しは決していいものとは言えなかった。
しかし同年1月にシングル"Man In The Box"("Facelift"収録曲)がリリースされると、これが長期にわたってチャートインすることになる。また、2月にはMegadethのUKツアー、さらに5月にはMegadeth、Anthrax、Slayerによるスラッシュ・メタルの一大ツアー"Clash Of The Titans"のオープニング・アクトにも起用。Van Halenのサマー・ツアーにも同行するなど、これらのライヴ活動も手伝って"Facelift"は9月にゴールドディスクを獲得するに至る。これは後にグランジと呼ばれるバンドの中では最初の快挙でもあった。
このAlice In Chainsによるヘヴィなサウンドの台頭、ヘヴィ・メタルサイドにおけるMetallicaのヘヴィネスを重視したサウンドへの転換など、メインストリームには徐々に重々しいサウンドが流れ込んでいた。そして、同年8月から9月にかけてAlice In Chainsと同じくシアトル出身のNirvanaが"Nevermind"を、Pearl Jamが"Ten"をリリース。これらのアルバムが急速にチャートを駆け上がり、メインストリームの潮流は一気にヘヴィな方向へ動いていくこととなった。
そんな中、彼らは11月にAlice In ChainsのこれまでのデモやPearl Jamの"Ten"を手がけたリック・パラシャーと共にLondon Bridge Studiosに入り、本作のレコーディングに取りかかる。バンドのアートワークも手がけるドラムのショーンの夢に出てきた言葉である"SAP"をタイトルに据え、本作は1992年3月にリリースされた。
このEPは映画「シングルズ」のサウンドトラックのために作ったデモテープに含まれていたアコースティック系の曲から構成されたものだ。そのため本作は彼らの大きな個性であるヘヴィネスに重点を置いた前作とは違った作風となっており、通常のアルバムよりも肩の力を抜いて制作されていることがわかる。また、詞も強いダークネスやネガティヴィティをあまり感じさせない穏やかなものとなっているのが特徴だ。
本作にも通じたサウンドトラックのためのデモテープ制作で彼らが得たのはやはりメロディの強化だろう。前作"Facelift"では地を這うようなヘヴィネスを中心にしたサウンドを生み出したものの、彼らのもう1つの特徴である美しいメロディはまだ大きく開花するには至らなかった。本作では熱帯雨林に咲く花のごとき妖しげな美しさがそこに備わり、さらにはヘヴィネスの要素を取り去ってもうっすらとしたダークネスを漂わせるメロディラインの確立に成功している。
このEPのハイライトはやはり#1の"Brother"であろう。この曲には同郷のシアトル出身のハードロックバンドHEARTのアン・ウィルソンがコーラスとして参加しており、彼女のヴォーカルが実に効果的にこの曲の魅力を引き出している。また、歌詞にはジェリーが幼少時代に両親の離婚によって兄弟と離れて暮らしていた様子が書かれている。#2の"Got Me Wrong"はメロディに穏やかさと力強さが同居した#1に次いで印象的な曲だ。ただ多少ダークネスを意識した重めのアレンジとなっているため、透き通るような感触はいくぶん弱くなっている。#3では同郷のシアトル出身のSoundgardenのクリス・コーネルとMudhoneyのマーク・アームが参加し、レインやジェリーと4人でリード・ヴォーカルを取っている。クレジットもAlice Mudgardenとなっており、遊び心の感じられる作品である。#4は#1と同じくアン・ウィルソンが参加しており、クリアでありながらもうっすらとしたダークネスを感じさせる。シークレット・トラックである#5は各々のメンバーが適当に楽器を持って演奏しているものだ。
本作ではそれぞれの楽曲のアレンジはまだオーソドックスなものが多く、イントロもシンプルなコードストロークやアルペジオによるものが中心となっている。#1や#2のイントロも良質な美しさを見せているのだが、その要素も内包したより深いアコースティックサウンドは後の"Jar Of Flies"にて完成を迎えることとなる。
"SAP"のリリースから間もなくして、彼らは1992年4月から"Facelift"と同じくデイヴ・ジャーデンをプロデューサーに迎えて本作のレコーディングを開始する。それと並行して映画「シングルズ」のサウンドトラックに提供した"Would?"のプロモーション・ビデオをキャメロン・クロウらとシアトルにて撮影。これが非常に高い評価を得て、MTVでヘヴィ・ローテーションされることとなった。6月にはその「シングルズ」のサウンドトラックがリリースされ、"Would?"はそのオープニング・ナンバーを飾った(Alice In ChainsのほかにPearl Jam、Soundgarden、Mudhoney、The Smashing Pumpkinsなどが曲を提供)。4月からはじまっていたレコーディングは6月に終了、"Would?"のニューバージョンも含んだ本作は8月にリリースされた。
粘つくようなヘヴィネスと美しさの双方を備えたAlice In Chainsの個性はこのアルバムによって完成されたと言えるだろう。重油に足を取られて身動きする術を奪い去られるかのような重々しいギターサウンドは聴く者を異世界に引きずり込み、アルバムジャケットに描かれた薄暗いオレンジの空の下に放り出されるような錯覚を与える。この彼らの持つ独特の呪縛感はBlack Sabbathを1つのルーツとしていることは言うまでもないだろう。それはSlayerのトム・アラヤが参加した#9にさりげなく"Iron Man"のリフを導入していることからも読み取ることができる。しかし彼らにはBlack Sabbathが標榜していたような黒魔術的な要素はなく、あくまで独自のヘヴィネスとレインの呪文のようなヴォーカルによってこの不思議な空気を生み出しているのだ。
"Facelift"の頃を遥かに上回る良質の楽曲と魅力を深めたレインのヴォーカルがからみ合うことで、このアルバムは類い稀なる完成度を誇る作品となった。また、独特のギターエフェクトを含むサウンドプロダクションがこのアルバムに果たした役割も実に大きいと言えよう。"Facelift"ではあくまでヘヴィメタル然としたギターサウンドであったのだが、本作ではより分厚さと粘りを備えたギターサウンドを生み出し、それによって楽曲により呪縛的な力を与えることに成功している。その効果が最も大きく現れているのがタイトルチューンである#7の"Dirt"だろう。この曲は"Facelift"期に書かれたゆったりと流れるメロディを持った曲であるが、このアルバムのサウンドプロダクションと組み合わされることで独特の呪縛感を演出、このアルバムの世界観を強烈に印象付ける曲となった。
このアルバムでは"Facelift"に不足していた要素は全て解消され、他の追随を許さないほどの強烈な個性に溢れている。#1の空を引き裂くようなシャウトによって聴く者の意識は一瞬にして解放され、7/8の奇妙なビートにからむ重々しいギターサウンドと妖しげなメロディによってこの深く暗い世界の中に閉じ込められるような感覚を味わうことになる。そしてAlice In Chainsの全作品中で最も印象的とも言える#2のギターリフは"Oh, you couldn't dam that river"(おまえはこの川をせき止められなかった)というその歌詞にあるように全てを音の洪水の中に飲み込んでしまうかのごとく圧倒的な存在感を見せつける。続く#3は一転して静寂とヘヴィネスの対比の美しさが強調された曲だ。"Facelift"収録の"Sea Of Sorrow"に近い作風とも言えるが、メロディの美しさなど曲を構成するどの要素を取っても遥かにそのスケールが大きくなっていることがうかがえる。ドラッグ中毒による躁と鬱のせめぎ合いを描写した#4はまさに病的と言えるもので、"Sickman"というタイトルにふさわしい作品となっている。比較的オーソドックスなアプローチを見せる#5は他の曲の病的な感覚とはまた違った力強いヘヴィネスと静寂の美しさをたたえる。さらに#8に見られる呪縛的な粘つきや、#11の呪文のように耳にへばりついて離れないレインのヴォーカルのインパクトも実に大きい。そして#12はアルバムの中で唯一ヘヴィネスから離れた曲で、アルバムの世界観を踏襲しつつもメロディとコーラスワークが儚い美しさを演出している。また、映画「シングルズ」のサウンドトラックに提供した"Would?"のニューバージョンも彼らの個性がバランスよく表現されたアルバムの最後を飾るにふさわしい曲だ。
歌詞も前作に比べてより重い題材が扱われるようになり、異世界的な雰囲気を持ったものが大きく増えている。#1は死をテーマとしたものであり、#5はジェリーの父親のヴェトナム戦争での体験をもとに書かれたものだ。"Rooster"とはジェリーの父親のニックネームのことであり、直接的に話したことのなかったこの内容を扱うことにより、お互いのトラウマを解消することを試みたものでもあった。そして、このアルバムで最も顕著なのはドラッグをテーマにした歌詞が多くなっていることであろう。#4、#6、#8はドラッグ中毒者を描写したものであり、#10はレイン自身のドラッグの禁断症状による幻覚などとの戦いを描いたものだ。また#13はMother Love Boneのアンドリュー・ウッドのヘロインのオーヴァードースによる死に対するジェリーの考えが書かれている。これらは彼らのイメージが曲解した形でとらえられる原因にもなったが、これがアルバムのもう一つのイメージを形作っていることもまた事実であろう。
アルバムの完成度という点だけで見れば3rdフルレンスアルバムの"Alice In Chains"がより優れているが、楽曲の存在感とそのインパクトにおいてこのアルバムの右に出るものはないだろう。本作はNirvanaとPearl Jamを中心に隆盛を誇ったグランジを代表する一枚としてのみならず、後のモダンヘヴィネスなどにも多大な影響を与えた作品としても評価されるものとなった。
前作"Dirt"はビルボードで初登場6位となる。アルバムはその後も売り上げを伸ばし、バンドはミュージック・シーンにおける地位を確固たるものとした。バンドはそれからオジー・オズボーンとのツアーや"Dirt"ツアーなどのライヴ活動に加え、"Them Bones"、"Angry Chair"(ともに"Dirt"収録曲)のプロモーション・ビデオの撮影などをこなしていく。しかし、1993年1月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された"Hollywood Rock Festival"に参加した後、ベースのマイク・スターがバンドからの離脱を決意する。目まぐるしいツアー・スケジュールなどで疲弊したことが理由だったそうだ。そこでバンドは当時Ozzy Osbourne Bandに在籍していたマイク・アイネズを3日間のリハーサルの後にバンドに迎え入れる。そして4月にはアメリカに戻って映画"Last Action Hero"のサウンドトラックのために"What The Hell Have I"と"A Little Bitter"をレコーディング。このサウンドトラックは同年6月にリリースされた。また、6月から8月にかけてオルタナティヴ・バンドによるロック・フェスティバル・ツアー"Lollapalooza'93"にTool, Fishbone, Rage Against The Machine, Dinosaur Jr.らと共に出演。それに備えるためにMetallicaとのヨーロッパ・ツアーは7月にキャンセルされた。
「ロラパルーザ'93」の終了後、バンドは9月に"What The Hell Have I"のレコーディングで知り合ったトビー・ライトと共にLondon Bridge Studiosに移り、"SAP"に続くアコースティックEPの制作を開始する。バンドはスタジオで1週間以上過ごす間に曲を書き、レコーディングも全て完了させる。その背景にはStone Temple PilotsがアコースティックEPを出す前に本作をリリースしたいという考えがあったそうだ(STPによるEPは結局リリースされなかった)。10月には"Dirt"ツアーで初来日を果たし、東京・大阪・名古屋での公演を行う。EPはかつて昆虫学を専攻することも考えていたジェリーが高校で行ったハエに関する実験から"Jar Of Flies"と名付けられ1994年1月にリリースされる。本作は全米初登場1位を記録、EPによる史上初の全米1位となった。また、同月に"Dirt"の全米での売り上げが200万枚を突破、ダブルプラチナムに認定された。
本作"Jar Of Flies"は"SAP"に続くアコースティックEPの第2弾としてリリースされた。その楽曲は"SAP"を遥かに凌ぐ完成度を見せており、バンドとしての個性があらゆる面において高い水準で確立されていることを示す仕上がりとなった。"SAP"はAlice In Chainsらしさを内包しながらも比較的オーソドックスなアコースティックサウンドであった。しかし、本作はAlice In Chainsらしいダークネスがアコースティックサウンドの中により溶け込んでおり、ダークネスとクリアなサウンドが高い整合性を保ちながら融合しているのだ。メロディは黒曜石のごとく妖しい輝きを見せ、"Dirt"の持っていた呪縛的な感覚とは一線を画した透明感のある繊細なダークネスが姿を見せる。また新しく加入したマイク・アイネズが作曲面で大きく貢献したことも加えておきたい。
その本作の個性が最もよく表れているのがオープニングを飾る"Rotten Apple"だ。浮遊感を持ったサウンドの繰り返しによって幻想的な空気を生み出し、そこから精神をトリップさせるようなメロディとコーラスワークが交錯するサビへと流れていく様は圧巻だ。続く#2の"Nutshell"はシンプルな構成を持った曲で、本作を象徴する透明感のあるダークネスと寂しげでありながらも温かみを持ったサウンドがからみ合う。また、その歌詞はレインの自らのロックスター偶像に対する拒否が連想させられるものとなっている。#3の"I Stay Away"は本作からの2枚目のシングルともなった曲だ。美しく澄んだイントロから広大な台地を想起させる導入を見せ、そしてダークネスを感じるサビからストリングスを取り入れた壮大なサウンドへと展開するスケールの大きな曲だ。この曲と#5で導入したストリングスも楽曲に実にいい効果を与えている。このEPからの最初のシングルとなった#4の"No Excuses"は本作の中で最もわかりやすいポップなサウンドを持った曲だ。また、そのサウンドの中にうっすらと東洋的な雰囲気を感じる要素が組み込まれていることも興味深い。陰のあるメロディとポップ感、さらに東洋的な要素という異素材の組み合わせによって新鮮な感触が与えられている。#5はインスト曲で、タイトルのとおりクジラを連想させるギターサウンドとストリングスが雄大な雰囲気を作り出している。そして残りの2曲は実験的な要素の強い曲となっている。#6はハーモニカを導入したフォーク色の強いナンバーで、#7の"Swing On This"はタイトルのとおりスウィングジャズを意識したものだ。どちらもAlice In Chainsらしさとの意外な相性のよさを見せていて面白い。
前作"Dirt"が彼らの持つダークネスとメロディのセンスをヘヴィネスを通じて表現した作品であったとするならば、本作はそれをアコースティックサウンドというフィルターを通して描き出した作品と解釈することもできる。そして呪縛的なヘヴィネスという彼らの個性の一つから解放されることにより、彼らのもう一つの個性である美しいメロディを際立たせることに成功したことにも本作の価値を見出すことができよう。
1994年1月には"Dirt"のダブルプラチナムに加え、"SAP"がゴールドディスクに、"Facelift"がプラチナムに認定される。また前作からの1stシングル"No Excuses"がラジオのエアプレイ・チャートの1位になるなど、バンドのその勢いをさらに強めていた。しかしバンドはレインの(ドラッグによる)健康状態の悪化を理由にツアーなどの活動をいったん取りやめ、メンバー個々の活動に移っていくことを決断。同年夏のMetallicaとのツアーはキャンセルされ、ロック・フェスティバル"Woodstock'94"への参加も取りやめることとなった。その間にレインは同郷のPearl Jamのギタリストであるマイク・マクレディ、Screaming Treesのバレット・マーティンらとMad Seasonというプロジェクトを始め、アルバム"Above"を1995年3月にリリースする。また、マイク・アイネズはGuns N' Rosesの元ギタリストであるスラッシュのバンド"Slash's Snakepit"のレコーディングに参加するなどした。これらの活動からバンドの不仲説などがしばしば囁かれることになる。
しかし、1995年4月にバンドはプロデューサーのトビー・ライトと共に故郷シアトルのBad Animals Studiosに入り本作のレコーディングに取りかかっていた。この印象的なジャケットはショーンが幼少の頃に3本足の犬 -トライポッド- に追いかけられた経験から考え出されたものだそうだ。アルバムは11月に全米でリリースされ、"Jar Of Flies"に続いて初登場1位を記録。しかし日本ではこのジャケットが問題視され、またバンドもアートワークの変更に応じなかったため日本盤の発売は無期延期されることとなった。後にショーンが最大限の譲歩として真っ白なジャケットを提示し、日本盤は次作"Unplugged"よりも遅れて1996年11月にリリースされた。
レインのドラッグ癖の悪化によるツアーの中止などもあり、バンドの状態が決していいとは言えない中で制作された本作。当然ながらレインの体調も万全ではなく、そのヴォーカルは"Jar Of Flies"や"Dirt"の頃に比べて衰えが見えることも否定しがたいものがあった。それをカバーすることなどを目的として、本作ではヴォーカルに強いエフェクトがかけられ、ジェリーとのツインヴォーカルに近い態勢を整えるなどの処置が取られることとなった。また、#1, #4, #12ではジェリーがリードヴォーカルを務めている。さらにそれらの不安な点に加えて、一部の曲ではバンド内の不和を連想させるような歌詞もある。#4は解釈次第ではレインのドラッグ癖に対する強い批判とも受け取れるし(公式には恋愛の歌詞ということになっている)、#6はそれらの批判に対するレインからの皮肉を込めた返答のようにも読むことができる。
このようにバンドを取り巻く環境には厳しい点も数多く存在していたが、その状況に反してアルバムは意外なほどに高い完成度を誇る仕上がりとなった。曲単体として見ればインパクトのあるものは少ないのだが、アルバムの持つ世界観の確立と流れるような展開という点においては、これまでの作品の中で最も高い水準に位置するものとなった。また、苦肉の策であったツインヴォーカルもこのアルバムの世界観と上手く合致し、それらの要素をむしろ引き立てていることも高く評価できる。
Alice In Chainsの持ち味の1つは粘つきのあるヘヴィネスであったが、本作ではそのヘヴィネスに多少の違いを見ることができる。"Facelift"や"Dirt"ではボディーブローのような重量感のあるサウンドであったのに対し、本作ではその重さが少しばかり和らいでいるのだ。そのかわり雰囲気としての暗さ、重さという点では過去の作品を遥かに上回るものを発揮している。その世界観はかつて美しい自然と栄華を誇った国が廃墟となったような世界を彷彿とさせ、曲が進むにつれてその中に徐々に歩みを進めていくような感覚に襲われる。それは"Dirt"の躁病的なテンションと比べればただただ暗く重苦しい世界である。"Dirt"の持っていた熱度が外に拡散していくものであったとすれば、本作は内部でジクジクと熱度を高めていくものであると表現できよう。つまり、これはアルバムの目指した熱度と重さの方向性の変化であるととらえることができる。
オープニングを飾る"Grind"はアルバムからの1stシングルとなった曲で、1993年に"Last Action Hero"のサウンドトラックに収録された"What The Hell Have I"などの流れを汲んでいることを思わせる曲だ。ただ、より低いテンションを持っていることや、内部で熱を高めるかのようなオルタナ的情感が強まっていることも特徴であろう。この#1は比較的わかりやすさも持った曲であるが、#2, #3と進むにつれて、このアルバムの持つ世界の中に取り込まれていくような展開を見せる。それはひどく寂しげで、抵抗する術もなく深く沈んでいくかのような情景である。しかし、それだけ重苦しくともそのメロディは耳について離れないようなポップ感を内包している。#4は古風な雰囲気を漂わせる曲で、肌寒さを感じるようなアコースティックサウンドと重苦しさが調和している。アルバムからの2ndシングルともなった#6は本作の持つ熱度を最も強く表現した曲だ。淡々と曲が進んでいくその内部で高まっていく熱度は実に深く重い。続く#7はそれとは最も対極に位置している曲だ。ここには"Dirt"のような呪縛感も、"Jar Of Flies"のような妖しさも、本作の多くの曲に見られる重苦しさもない。ただ純粋に全ての存在を白く染めていくかのような美しさを見せるのだ。Alice In Chainsの持つポップなメロディがストレートな形で表現され、ダークネスやヘヴィネスを感じる要素も少ない。しかしそれはどこか空虚な空気に満たされており、その様は全ての記憶と存在が消える中で死を迎えていくかのようだ。そして#8は本作らしい熱度を帯び、ゴリゴリとした感触を強く持っている曲だ。#9は泥臭くパンキッシュな要素を感じさせる。ただパンク的な疾走感はほとんどなく、むしろファンク的な感覚のほうがより強くなっている。#11はゆったりとした流れを持つ長尺の曲で、後半はインストのような展開を見せる。#12はブルージーな風味すら漂わせるトラディショナルなロックで、これまでの廃墟のような世界から脱したような雰囲気を持っている。ドロドロと沈み込んでいくような暗さとは異なる、ブルージーな深みのあるダークネスを感じ取ることができる。
歌詞は"Dirt"の頃よりも暗みを増し、その現実世界から離脱したような感覚はさらに強まっている。また、アルバムを作った時期の彼らの状態を表すような歌詞が多いのも特徴だ。レインの死などの誤った情報がしばしば流されたことを"Not to plan my funeral before the body dies"(肉体が死ぬ前に俺の葬式を計画を立てるな)と痛烈に批判した#1や、"How proud are you being able to gather faith from fable"(作り話で信仰を集めることができるというのはどれだけ誇らしい気分なんだい)と神や宗教に対する強い怒りを表現した#8など、よりシリアスで重々しい傾向が見られる。
たしかに楽曲が淡々と進んでいくように思われる要素がないわけではないし、一部の曲には存在感が多少薄いものも見られる。しかし、アルバム全体としての統一感とメロディの持つ個性が非常に優れているため、それらの要素が与えるマイナスの影響はそれほど大きくはない。まさに本作は悪い状況下にあった当時のバンドの持っている可能性の全てを引き出し、それを限界にまで高めることによって作り上げられたアルバムであると言うことができるだろう。
前作"Alice In Chains"は好セールスを記録したものの、レインの健康状態は依然として回復の兆しを見せなかった。そのためバンドはツアーなどを行わないことを決め、メディアへの露出もほとんどない状態が続いていた。その状況を見たレーベル側がバンド自身によるインタビュービデオの制作を提案。バンドもそれを受け入れてビデオの撮影を行うこととなる。その内容はジェリーがノーナという老女に扮し、各メンバーにインタビューなどを行うというものであった。その映像は"The Nona Tapes"と題され1996年1月にリリースされる。
しかし、2月にローリング・ストーン誌がレインのドラッグ癖についての記事を掲載したことでレインはさらに態度を硬化。その影響もあってツアーに出られない状況が続くことになるが、レインが「MTVの番組"Unplugged"に出演してもいい」とメンバーに伝えたことからバンドは再び活動を始める。アンプラグド・ライヴの収録は4月10日に行われ、5月28日にMTVで放送された。そしてその音源が本作"Unplugged"として7月に、映像がビデオ"Unplugged"として10月にリリースされる。また、6月28日から7月3日にかけてKISSの再結成ツアーのオープニング・アクトを務め、4公演という短い期間ながらもライヴ活動を行った。
1996年には単発のライヴを行ったものの、その後はバンドとしての活動は再び停滞してしまう。依然としてレインがツアーに出られない状況が続いていたため、ジェリーは1998年にショーンやマイク・アイネズと共に1stソロアルバム"Boggy Depot"をレコーディング。アルバムは4月にリリースされ、ジェリーはMetallicaとともに全米ツアーを行う。同年10月には再びレインを含めたメンバーが集まり、"Dirt"などを手がけたデイヴ・ジャーデンとLAでボックスセットのための新曲のレコーディングを開始する。しかし途中で問題が発生してしまったため、バンドは途中でシアトルに移りトビー・ライトをプロデューサーに"Get Born Again"と"Died"の2曲を録音する。その後レインはRage Against The Machineのギタリストであるトム・モレロとClass Of '99というプロジェクトを結成、映画"The Faculty"(邦題:「パラサイト」)のサウンドトラックにPink Floydのカバー曲である"Another Brick In The Wall"を提供。サウンドトラックは12月にリリースされ、同曲はアルバムのオープニングとエンディングを飾ることとなった。しかしそれ以降はAlice In Chainsとしての表立った活動もなく、1999年7月にボックスセットの発売に先駆けて"Get Born Again"を含む本作をリリースした。
前作"Nothing Safe"はボックスセットである本作からのベスト盤という位置付けであったが、実際には通常のベスト盤と呼ぶべき内容であった。本作は1998年10月にレコーディングしたもう1つの新曲である"Died"を含む7曲の未発表曲と(未発表曲以外の)7曲の未発表テイク、またレアテイクなども収録した3枚組のボックスセットとして前作から3ヶ月遅れてリリースされた。もちろん前作と同様に"Get Born Again"も収録されている。
バンドとしての活動は停滞したままであったが、1999年のベスト盤"Nothing Safe"とボックスセット"Music Bank"に続いて、ライヴアルバムである本作"LIVE"が2000年12月にリリースされる。アルバムはショーンがジャケットデザインなどに軽く関与した程度で、他のメンバーは本作にほとんど関わることがなかったそうだ。
レインの健康状態は悪化の一途をたどっており、もはや通常の生活にも支障をきたすほどであったと言われている。そのため2001年もバンドが活動を再開することはなかった。そして7月には"Nothing Safe"に続く2枚目のベストアルバムがリリース。前作"LIVE"と同様に活動が停滞したバンドの契約消化のためのアルバムリリースという色が濃いものとなった。
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